この物語は、諸説さまざまで、その奥行きの深さも抜群である。この物語が史実として伝えられている常陸の国小栗邑(茨城県真壁郡協和町)には、小栗城跡や墳墓などの史跡が残っている。

 「鎌倉大草紙」では、応永30年(1423)、小栗満重・助重親子は足利持氏と戦い小栗城落城。その後、助重は悲願の小栗家(小栗城)再興を果たすも、康正元年(1455)、足利成氏に攻められ再び城を明け渡す。これらの史実をベースに物語は構成されている。

 「小栗実記」では、小栗満重が足利持氏との戦いに敗れ落城。その子助重(小栗判官)は、三河の国(愛知県)を目指して落ちのびる途次、相模の国(神奈川県)で郡代・横山一統の謀略で毒酒を盛り殺害されようとするが、これを察知した横山の娘照手の機転により一命を取り留めた。小栗は藤沢へと逃れ遊行上人の助けを受けたが、口に含んだ毒酒の害で、目も見えず、耳も聞こえず、口もきけず、といった重病人(餓鬼病)の姿となる。一方、照手も家を追われ、流浪の身となり、苦難に満ちた日々を過ごしていたが、家臣らの助けもあり小栗判官との再会が叶う。しかし小栗判官の病は意外にも重く照手の強い思いで、治療のため、歩行もかなわぬ小栗を土車に乗せ、人の情けを頼りに熊野湯の峯を目指しての道行きとなる。
 熊野権現の霊験と湯の峯での湯治が奇跡を呼び本復がかない、元の小栗となる。二人はその後、幸せなくらしを取り戻した。

 「小栗実記巻之十(「紀伊名所図会」・嘉永4年・1851)」、では小栗判官・照手・一子大六の三人が熊野の山中で熊野権現の霊夢を授かる記述と挿絵がでている。

 小栗一族の歴史をいまに伝える協和町(茨城県)、照手の生れ里・相模原市(神奈川県)、遊行上人と深く関る藤沢市(神奈川県)や照手が水仕女として苦難の日々を送った美濃の大垣市周辺(岐阜県)、滋賀県、京都府、大阪府、和歌山県などには小栗判官物語にまつわる史跡や伝承が数多く残されている。
 相模の国から熊野まで小栗を乗せた車が通ったとされる車道(東海道・中山道・南海道・小栗街道)沿いには地元の人々がこもごも語る説話が生きている。
 宗教的意味あいをもつこの物語が説法として説かれ、僧や説経師、又、熊野比丘尼によって語りひろめられ、時を経て説経淨瑠璃や歌舞伎など芸能化し、民衆に愛される物語として定着、江戸期にはずいぶんと盛んに演じられたようである。その筋立ては、小栗判官助重の一代をモデルとして創作された宗教説話「説経をぐり」が一般的である。


 京都二条高倉の大納言兼家夫婦には子供が無く、鞍馬山の毘沙門天に子授け祈願をした。まもなく兼家夫婦は男の子を授かり、「有若」と名付けた。後の小栗判官である。小栗は文武に秀で、又、評判の青年に成長する。しかし、小栗は父の勧める縁談を全て断わる。21歳までに72人の妻を帰したとある。小栗が鞍馬参詣の途次、彼の吹く美しい笛の音に誘われるように、深泥池の大蛇が美女となって現われる。小栗は、これぞ理想の女性と喜び、二人は愛を深めた。この事を耳にした父兼家は怒り、小栗を常陸の国に流してしまう。
 常陸の国に流された小栗は、その後、武蔵・相模の郡代横山の娘で、日光山の申し子照手姫の美しさを聞き、10人の家来を連れて強引に婿入りする。これに怒った横山は、三男三郎の企みで、小栗を人喰い馬の鬼鹿毛に食わせようとするが、小栗は鬼鹿毛を難なく乗りこなしてみせる。今度は、宴席に招き、毒酒をもって殺してしまう。照手も同罪として相模川に流されるが、照手は守り本尊千手観音の御加護により、ゆきとせが浦の浜辺にたどり着き、村君の太夫に助けられる。しかし、姥にいじめられ、ついには人買に売られてしまう。各地を転々とした照手は美濃の国、青墓の萬屋に買い取られ、常陸小萩という名で水仕女として苦難の日々を送っていた。
 さて、地獄におちた小栗は、閻魔大王の計らいで、この世に餓鬼の姿で戻されることになる。“この者を熊野湯の峯の湯に入れれば元の姿に戻る”と書いた閻魔大王自筆の胸札をかけて墓から現れ出る。これを見た藤沢の上人は胸札に“一引きひけば千僧供養、二引きひけば万僧供養、藤沢の上人”と書き添え「餓鬼阿弥」と名付けて土車に乗せ、熊野に向けて旅立たせる。道中、上人様の徳をいただこうと、人々は村から村へ餓鬼阿弥を乗せた土車をひいた。美濃の国、青墓の萬屋の水仕女、常陸小萩も「餓鬼阿弥」が我が夫とも知らず、大津の関寺まで3日車を引いた。
 道中、多くの人々の情けを受け、餓鬼阿弥車は相模の国を出て関ヶ原を越え、京都、大阪、そして小栗街道を難渋な旅を続けること444日で熊野湯の峯に着いた。
 湯の峯の壺湯に入った小栗は、一・七日(いちしちにち・7日)で両目が開き、二・七日(にしちにち・14日)で耳が癒え、三・七日(さんしちにち・21日)で言葉(ことのは)を話せるようになり、七・七日(なななぬか・49日)には6尺豊かな元の姿に蘇生した。
 熊野権現の加護と、湯の峯の薬湯の効あって見事に蘇った小栗は、都にもどり両親と再会して勘当の許しを得る。又、朝廷から美濃の国司に任じられ、青墓の萬屋に常陸小萩を訪ね、照手と再会を喜び合う。その後、二人は常陸の国に戻って幸せな生涯をおくったとある。
 小栗は美濃の国墨俣の正八幡に、又、照手は近くの安八町の結明神の縁結びの神として祀られ、人々の信仰を集めている。
 


和歌山県 上富田町 救馬溪観音に伝わる小栗伝説は こちら