開運厄除霊場 瀧尾山 救馬溪観音
開運厄除霊場 瀧尾山 救馬溪観音

当山について

小栗判官逸話

救馬溪観音のある「上富田町」は、熊野本宮への参拝道である「中辺路」と「大辺路」の分岐点に位置していることから、昔より「口熊野」と呼ばれ、多くの伝説や説話が残っています。とりわけ、この上富田町、特に生馬の地方にゆかりが深いのが「小栗判官」です。

小栗判官は室町時代の人物ですが、その物語は江戸時代に近松門左衛門が書き下ろした人形浄瑠璃「当流小栗判官」が大ヒットした事により一躍有名になりました。現在では市川猿之助氏がスーパー歌舞伎「スーパーオグリ」を上演したことで再び脚光を浴びています。

その物語は、神奈川県藤沢市で毒殺された小栗判官が生き返り、湯治のため紀州熊野の「湯ノ峰温泉」を訪れる。といったものですが、脚色された部分もあり、その生い立ちなどは物語によってまちまちで、不明な点も多いです。しかし、この熊野街道を通って湯之峰に来た事だけはどのストーリーも全く同じです。

現在の湯之峰温泉には小栗判官が蘇生したという「壺湯」や箱車を埋めたという「車塚」、又、蘇生した小栗判官が力を試したという「力石」など数多くの史跡が残っています。

ここ生馬は、小栗判官の愛馬が生き返ったと云うことで「生馬」と名付けられ、「救馬溪観音」の寺名も愛馬が救われたことに感激した小栗判官が名付けたものであるといいます。

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それでは、当山に伝わる
小栗判官説話をご覧下さい。

はじまり はじまり

応永30年(1423)常陸(ひたち)の国小栗邑(おぐりむら)(現在の茨城県協和町)の領主小栗満重(おぐりみつしげ)は足利持氏(あしかがもちうじ)に攻められ落城。

満重(みつしげ)の子・小栗判官(おぐりはんがん)こと助重(すけしげ)は10人の従者と共に落ちのびる。

落ちのびた小栗判官は旅商人に変装し相州(そうしゅう)(現在の神奈川県)に隠れ、小栗家再興の計画を練っていた。

ここで照手姫(てるてひめ)と知り合い、夫婦の契りを交わす。

小栗判官(おぐりはんがん)を探していた郡司の嫡子横山前生安秀(よこやまぜんしょうやすひで)は、旅商人が小栗判官であることを知り、人喰い馬「鬼鹿毛」(おにかげ)に小栗判官を殺させようとするが、判官は楽々と乗りこなしてしまう。

ついに小栗判官は酒に毒を盛られ、従者と共に殺されてしまう。

照手姫も小栗判官と同罪として、海に流される。

獄に着いた小栗判官は従者達の懸命の懇願と閻魔大王(えんまだいおう)のはからいにより、目も見えず、体も自由のきかない「餓鬼阿彌」(がきあみ)の姿でこの世に送り返される。

小栗判官は餓鬼阿彌(がきあみ)となって生き返り、遊行上人(ゆぎょうしょうにん)に会う。

上人は「この者紀州湯の峯の湯に入れたまえ」と書いた板を判官の首に掛け、箱車(はこぐるま)に乗せて、相州(そうしゅう)から湯の峯へ送り出す。

一方、照手姫は静岡に流れ着いた後、岐阜の大垣(おおがき)に売られ、遊郭(ゆうかく)の水汲み女として働いていた。

道行く人々の手に曳(ひ)かれ大垣(おおがき)に来た小栗判官は照手姫と再会。共に湯の峯を目指す。

小栗判官を乗せた箱車(はこぐるま)を曳(ひ)く照手姫は紀州田辺にたどり着く。田辺より湯の峯までは険しい山道を通らなければならないため、箱車から馬に乗り換えた。

ところが乗り換えてからまもなく馬が病のため倒れてしまった。

難渋(なんじゅう)していた折、馬の守り本尊である馬頭観音を祀った「岩間寺」(いわまでら)(当山の昔の寺名)が近くにあることを聞く。

当山に参拝した照手姫は馬の病気平癒と湯の峯までの道中の無事を一心に祈った。

すると馬の病気はたちまち全快。

小栗判官自身も小康を得、旅を続けることが出来た。

無事、湯の峯に着いた小栗判官は壺湯に入る。

21日目には両眼が開き、100日をすぎる頃、元の体に戻る事が出来た。

蘇生(そせい)した小栗判官は常陸(ひたち)に帰り小栗家を再興する。

いかがでしたか。当山にはこの物語のほかに次のような話が伝わっています。

「小栗判官は湯之峰温泉に一人で来たのか、または照手姫と2人来たのか」という問題が論議されています。それは、ある物語では道行く人々の手に引かれて湯之峰に来たことになっているからです。しかし、実際は照手姫と一人の従者と共に来たというのが事実に近いようです。小栗判官には「十人衆」という家来がいたことは、物語や史実からも明らかですが、この十人衆は相州で小栗判官と共に毒殺されてしまいます。その十人衆の内の一人の兄弟が、家来として小栗判官と共に来ていることが当地方の史実から分かっています。その家来の名は「水戸小四郎為国」と云い、小栗判官が常陸の国へかえった後も生馬の地にとどまりました。彼は出家して「善知坊」と名乗り、ここ救馬溪観音において、お家の復興を念じたと伝えられています。また、善知坊は同じ生馬の地にある「大貴山 観音寺」を建立しています。観音寺は通称「さつき寺」として知られ、シーズンには大勢の参拝者でにぎわいます。

また、当山から南へ約一キロのところにこの「善知坊」の墓があります。民家の前にあるのですが、毎年1月24日と8月24日には餅まきが行われます。
こういった事からも、ここ生馬の地は「小栗判官」ぬきでは語れません。
生馬地方に次のような田植え歌が残っています。

咲いた花より咲く花よりも
咲いて乱れた花がよい
咲いて乱れてまた咲く花は
小栗判官照手の姫よ
小栗判官照手の姫は殿のためにと
車を引けどためになるやらならぬやら

是非皆さんも生馬にお越しになって下さい。